こんにちは、椎木です。
令和最初の場所が始まり盛り上がりを見せる大相撲ですが、そんな大相撲の幕内力士の中にあって、ひときわ目立っていたのがこの炎鵬関ではないでしょうか。
小兵とはこの人のためにある言葉ではないかと言うほど、他の力士と比べると小さい体ですが、新入幕ながら堂々と白星をあげた姿はとても凛々しいものでしたね。
そこで今日はそんな炎鵬関について
- 身長体重などのプロフィール
- 出身校などの経歴
- 家族
- 白鵬との関係
を調べてみました。
炎鵬関の身長や体重などのプロフィールは?

出典:http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile/3803/
炎鵬関こと、炎鵬 晃(えんほう あきら) のプロフィールはこちらになります。
所属部屋 | 宮城野部屋 |
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本名 | 中村 友哉 |
四股名 | 炎鵬 |
番付 | 前頭十四枚目 |
生年月日 | 平成6年10月18日 |
出身地 | 石川県金沢市 |
身長 | 168cm |
体重 | 99kg |
身長は168㎝と幕内力士の中では一応平均は上回っていますが、特筆すべきはやはりその体重でしょう。
十両のころは97㎏だったので、少しは増えたもののそれでも99㎏。
100㎏未満の幕内力士は平成以降では炎鵬関を入れてもわずか4人。有名な方で言えば舞の海さんですね。
技のデパートと言われた舞の海さんですが、得意の左差しからの下手投げは特に一級品だったイメージです。
炎鵬関も同じように下手投げを得意としていますが、同時に左四つの形も得意としています。
この体で四つ相撲を取るというのですから凄いですよね。
炎鵬関の出身校や経歴は?
炎鵬関の学歴は以下の通りです。
中学校 | 金沢市立西南部中学校 |
高校 | 金沢学院東高校 |
大学 | 金沢学院大学 (人間健康学部スポーツ健康学科) |
炎鵬関は大学相撲出身です。
相撲は小学校入学前から嗜んでおり、中学時代は輝関と同期で、共に石川県の代表として全国優勝も果たしています。
そのうち同期対決も見られるかもしれませんね。
高校の3年の時には世界ジュニア相撲選手権大会の軽量級で優勝を果たし、
大学へと進むと1年次に西日本学生相撲新人選手権大会で優勝を皮切りに、2年と3年と、世界相撲選手権大会の軽量級を2連覇を果たすなど、全部で10個のタイトルを獲得するほど有能な選手でした。
そんな炎鵬関ですが、実は最初普通に就職活動を行っていたのだとか。
小松マテーレ株式会社の面接時、「経歴がすごいんだから相撲をしたほうがいい」と勧められた事から、大相撲の道に進んだのだそうです。
その後宮城野部屋へ弟子入りし、序の口、序二段、三段目全てを全勝優勝で飾り、怒涛の勢いで幕下まで駆け上がったのだから、小松マテーレの面接官の見立て通りと言ったところですね。
炎鵬関の兄弟や家族は?
炎鵬関のにはお兄さんがいます。
中村文哉さん(26)と言う方ですが、この方のきっかけで炎鵬関が相撲を始める事になったのだとか。
そんなお兄さんも、金沢学院大学出身で、相撲はかなり強かったようです。
お兄さんの文哉さんが4年、炎鵬関が2年の頃には、全国学生相撲個人体重別選手権で、それぞれ115キロ級で初優勝、85キロ級で2連覇し、大会史上初の兄弟同時優勝をするくらい強い選手だったようです。
ただ炎鵬関とは違い、その後は大相撲に進むと言う事はなく、お父さんと同じ北國新聞社に入社されたのだとか。
もし大相撲に進んでおられたら、兄弟対決と言った物も見れたかもしれませんね。
炎鵬関と横綱白鵬との関係は?
炎鵬関も白鵬関も共に宮城野部屋なので、兄弟子と弟弟子と言った関係なのは明白です。
ですが、この二人にはそれ以上に深い絆のようなものがありまして、
元々炎鵬関は横綱の内弟子として宮城野部屋に入門しています。
さらに炎鵬関の四股名を考えたのは、横綱白鵬関です。
炎鵬関の「炎」には横綱からの
「体が小さいのだから、闘志を炎のように燃やしていけ」
という思いが込められているのだとか。
闘志はすでに一級、横綱に負けない力士に成長するのが今から楽しみですね。
まとめ
今回は炎鵬関について
- プロフィール
- 経歴
- 家族
- 白鵬との関係
をまとめてみました。
小兵ではあるものの、学生時からその非凡な才能を見せた炎鵬関は、横綱の思いを胸に今日も土俵に上がるのでしょう。
若くて勢いのある力士が出てくるのは、今後の相撲界にとってもいい刺激になりますし、応援させてもらいたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた次のニュースで。
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