意味が勘違いされてしまいがちな日本語シリーズ。
今回は「割愛」という言葉について説明します。
よく「この部分の説明は割愛させていただきます」
などという言葉で、省略するときに用いられている事が多いですよね。
省いているくせに「愛」と言う文字がふくまれているのには
「割愛」することの出来ない由来や意味があるので、ぜひ正しい「割愛」の意味を知って下さい。
「割愛します」の意味は単純に「省略します」ではない?
冒頭にも述べたとおり、「割愛します」と言われると
あー、ハイハイ。省略するのね。
と変換してしまいがちですよね。
実際使用している人の中には
「この部分はさして重要ではないので割愛させていただきます」
という人も多いのではないでしょうか。
「割愛」=」「省略」を格好良く言い回したもの。
という認識でしょうか。
実際「省略する」で間違ってはいないのですが、
ただ単純に「省略する」のではなく、本来の「割愛」の意味は
必要だけど都合上仕方なく省略する、愛着があるけど思い切って手放す
という意味です。
単純に不要だから省略するのではなく、時間や紙面などの都合上でカットせざるを得ない場合に
「割愛させていただきます」という風に表現します。
「割愛」に「愛」の文字が入っている理由は由来を知ればよく分かる
さて、「割愛」という言葉が
惜しみながらも手放す、省略する。
と言った意味であることは説明しました。
何故、こういった意味にになったのかと言うと、「割愛」という言葉の由来を知ると良く分かります。
元々この「割愛」という言葉は仏教語が由来です。
仏教語での割愛は
人や物事に対する愛着の気持ちを断ち切ることを言いました。
「愛着」を断ち切る、つまり「割く」ことですね。
そういった仏教語の由来持っているため、現在のように
惜しみながらも手放す、省略する。
という風に使用されるようになっています。
「愛着」があるのだが、都合上「割いて」省略しないといけない。
「愛着」があるのだけれど「割く」必要がある。
という風に書けば、まんま「割愛」ですよね。
由来や意味を知ってしまえば、「割愛」という文字に「愛」が含まれているのは
当たり前のことだという事が、お分かり頂けるかと思います。
割愛の類語は?
ネットで「割愛」と調べてみると、類語というワードが予測に出るかと思います。
それらを調べてみると
- 省略
- 端折る
- 省く
- 除外する
- カットする
などがヒットします。
実際に行為としては「割愛」も「省略」しているのですから
類語と言われても強ち間違いではないでしょう。
ただ、重要なのは先程も説明したとおり「割愛」には
惜しむ気持ちがある。
という背景がある事が他の「省略形」の類語との違いです。
話し手や書き手が「割愛」と言う表現を使用した場合は、その背景に
愛着やこだわり、惜しむ気持ち
等がある事を汲み取って上げて下さい。
逆に自分がそういった気持ちがある場合は「割愛」という表現が一番ピッタリでしょう。
間違っても「省略」や「省かせていただきます」などの表現を使用しないようにしましょう。
「割愛します」の例文や使い方は?
時間等の都合で、やむなく省略せねばならないときに使用する割愛。
どういった時に使用するのがベストなのか、ちょっと例文を挙げてみました。
シーン1:終了時間が差し迫った会議で
モデル3のケースは時間の都合上割愛させていただきます。
シーン2:400字詰め原稿用紙一枚に仕上げる読書感想文の文末に
まだまだ書き足りない事が多いが、紙面の都合上割愛せねばならない。
シーン3:結納式で思った以上に実家側から親戚が来ちゃった場合
叔母の〇〇です。…あとの方の紹介は乾杯も差し迫っているのでこの場では割愛させて下さい。
こんな感じでしょうか。
時間の都合上、紙面の都合上、またはAとBのバランス。
と言った具合に、現代には様々な都合が転がっています。
そういった都合上どうしても省かなければならない場合に「割愛」をご使用下さい。
まだまだ例が欲しいという方のために、文豪たちの使用方法を紹介いたします。
極めて初期の作で「ザムボア」「創作」等に発表した小曲風のもの,及び「異端」「水甕」「アララギ」「風景」等に発表した二,三の作はこの集では割愛することにした。
出典:荻原朔太郎「月に吠える」
この文の後に、
「作者にとって思い入れのある作品であるが、詩集の統一性を保つため、また折を見て「割愛」した作品も別の集にまとめる」
と言った旨の表記があります。
愛着が合ったものの、「作品の統一性」という都合上「割愛」しなければならなかった。ということが分かりますね。
云いたい点は沢山あるが,紙数に制限があるので割愛せねばならぬ。
出典:戸坂潤「読書法」
これは、「せねばならぬ」という表現からも
「割愛」したくなかったのに…。
という気持ちが取って分かる表現方法ですね。
割愛の意味が間違って使用されているのはなぜ?
文字自体にも意味や由来を連想させる「愛」という表現が入っているにもかかわらず、
「割愛」がただ単純に「不要なものの省略」という意味で用いられがちです。
何故そうなったのかは定かではありませんが、
本来の意味を持って「割愛する」という表現をしても、
そこに「惜しむ気持ち」というものが見えにくい事が原因ではと考えています。
先程の例を挙げましょう。
シーン1:終了時間が差し迫った会議で
モデル3のケースは時間の都合上割愛させていただきます。
この「割愛させていただきます」には「できればプレゼンしたかった」という気持ちが含まれています。
ですが残念ながらこの表現だけでは、時間がないから一番不要なモデル3のケースを省略した。
という風に取られかねません。
このように、実際は「惜しい」と思っていてもその気持が分かるのは
「割愛した」本人以外にいないという状況のせいで
「割愛」=「不要なものの省略」
という風に「惜しい気持ち」、「愛着」という意味が消えてしまったのだと推察しています。
これから「割愛」という言葉を聞くことがあれば、
ああ愛着があるけど仕方無しにか…。
と推察してあげていただければ幸いです。
「割愛」に「愛」の文字が入っている理由のまとめ
今回は間違って使われがちな
「割愛」という言葉についてまとめました。
「愛」という文字が入っている通り、本来の意味は
愛着が有るけれど、仕方がなく省略すること
と言った意味合いです。
由来は仏教語で、こちらでは
愛着があるものや人を切り離す
と言った意味で使用されていました。
この由来そのままに、現在の「割愛」するという意味が形成されています。
「省略」などと言った言葉の類語として挙げられることが多いですが、
実際は「惜しむ気持ち」がある場合にのみ使用するようにしましょう。
ではではまだまだ書き足りない事もありますが、
時間と紙面の都合上これ以上は「割愛させていただきます」。